4月(後半)の読書日記

 今の僕の実力だとまともな書評を書けるのはおそらく大衆迎合的な新書までで、文学作品や専門書を読んで何か書くというのはチャレンジしてはいるのだけどなかなか難しい。
ただ読んで何もアウトプットしないのも良くないので、読書メーターの「まとめ」を利用して感想を書き留めておこうと思う。

 前半は概日周期についての分子生物学的説明で、生物は24時間を測るのにタンパク質の合成サイクルを用いているのだという。これが神経回路で実装されていないのはおそらく、
a)複雑な神経回路が進化の過程で登場する以前に、生体時計は既に生物に備わっていたため。
b)神経回路のタイムスケールはmsecからsecであり、1dayを測るには短すぎるため。
c)少数のニューロン群によるRecurrent Networkはノイズに対して不安定で、てんかんなどを起こしやすいため。
あたりが原因であると思う。
 後半は、睡眠についての説明で、ショウジョウバエの睡眠の説明から始まり、人間の睡眠障害まで扱っている。

 さて、上に示したのはある期間における僕の睡眠時間の推移を記録したものである。横軸が日付で縦軸が睡眠時間、スケールは一応隠してある。ここから何が分かるかと言うと難しいが、まず一つ分かるのは寝不足の次の日は寝坊する確率が高いということ、もうひとつは前半に比べ後半の方が安定しているということ。後者については前半が休み期間で後半が学期中なのだと推測されるかもしれないが実際は逆で、僕が大寝坊をしなくなった原因はおそらく別にある。このことはグラフにしてみるまで僕自身も気付かなかったので、グラフ化を通じて睡眠というものがいかに興味深いものであるか身を以て実感した。
それとは別に、睡眠時間を記録し始める前はもう少し朝寝坊が酷かった気がするので、レコーディングダイエットと同様に、レコーディング寝坊対策は有効である。

  • 精霊たちの家

さらに祖母は、いつの日か今経験している身の毛もよだつような秘密を白日の下にさらすことができるよう、証言を書いておきなさい、真実に目をつむり、自分たちはごく普通の生活をしているという幻想に取りつかれている人たちや自分たちが幸せな生活を送っているすぐそばで、暗い世界に閉じ込められ辛くも生き延びているか死んでゆく人たちがいるという証拠が山ほどあるのに、それを無視し、自分の生きている世界が嘆きの海に漂っているはかない小舟のようなものだということをどうしても認めようとしない人たちがいるけど、その人たちの一見平穏で落ち着いた暮らしと並行して恐ろしいことが行われていることを世間の人に知らせてあげなさいと言った。

 改めて読むにこの一文があえて名文だとは思えないが、物語の終盤でこの文章に出会ったときは、山手線の車内で感涙しそうになるほど衝撃を受けた。ラテンアメリカ文学に一般に言えることだが、特にこの作品に顕著に現れているのがファンタジーのリアリティーで、「チリの農村部では良くあること」という印象でもって、物語に引き込まれていってしまう感じが強かった。もうひとつ、本作はおそらくチリの大地震を扱った作品の中で国際的に知られている数少ないものの一つで、地震それ自体は主題ではないものの、その描写は一読に値するものだと思う。

  • 九百人のお祖母さん

たしか元々は山形浩生のエッセイかなにかで紹介されていた本で、約二年ぶりに再読した。

だが、いまやたくさんのこと、いや、あらゆることをする時間があった。十五分のひまを十五時間に使える以上、この世界のなんであろうと、マスターできない理由はない。ヴィンセントは元々注意深い速読家だった。今の彼は一晩に百二十冊から二百冊の本を読むことができた。そして、加速状態で眠り、たった八分で一晩分の睡眠を取ることができた。
最初に身につけたのは、外国語の知識だった。一つの言語について、世界時間で三百時間、つまり加速時間で三百分(五時間)かければ、かなり該博な読解力が得られる。何カ国語を学ぶにしても、一番なじみ深いものから縁遠いものへと、正しい順序でやれば、別に大して困難はない。まず手始めに五十カ国語をマスターし、それ以外の外国語が必要になった時は、いつでも一晩をそれに充てることにした。
同時に、知識の蒐集と整理統合に取りかかった。文学では、はっきりいって、本当に愛読するにたる本は、一万冊しかない。きわめて楽しくそれらを読み終わったあと、そのうちの重要な二、三千冊を、再読のために残しておくことにした。
しかし、歴史書は非常にむらがあった。表現の点では読む価値もない資料やテキストを読む必要があった。哲学書にも同じことがいえた。もちろん、数学と科学は、純理的なものも物理的なものも、それと同じスピードでは吸収できなかった。しかし、時間はいくらでも利用できるのだから、すべてはマスターできる。もし、時間に制限がなければ、そして、もし正しい順序と前後関係を通じ、正しい準備学習を行ってからであれば、これまでにどんな人間の表現した概念でも正常な人間の頭で理解できないはずがない。
時の六本指 / R.A.ラフティ

 学問/新しい教養についてはまたいずれ書きたい。ただ原則的には多分引用の最後の文に書かれていることで尽きているはずで、任意の学問について任意の理解度へと有限時間で到達するパスが任意の初期状態に対して存在する。むしろそれを学問の定義とすべきだろう。
その代表的なものについては広く公開されているべきで、例えば力学について学部レベルの理解度を得るには、中等教育のカリキュラムを終えたあと、「物理のエッセンス -力学・波動-」→「ファインマン物理学1 -力学-」→「解析力学 (裳華房フィジックスライブラリー)」→「力学 / ランダウ・リフシッツ」→「古典力学 / ゴールドスタイン」の順に読み進めれば良いのだけれど、これはググってもなかなか出てこない。現代人は就職後も絶えず知識と思考のベースとを更新し続けることが求められているわけで、早熟な独学者のためにも、そういう状況を打開すべく何かしらのガイドがあっても良いと思う。


4月の読書メーター
読んだ本の数:3冊
読んだページ数:1339ページ

時間の分子生物学 (講談社現代新書)時間の分子生物学 (講談社現代新書)
読了日:04月29日 著者:粂 和彦
精霊たちの家 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-7)精霊たちの家 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-7)
読了日:04月27日 著者:イサベル・アジェンデ
九百人のお祖母さん (ハヤカワ文庫SF)九百人のお祖母さん (ハヤカワ文庫SF)
読了日:04月20日 著者:R.A. ラファティ,R・A・ラファティ,浅倉 久志

読書メーター

ジャンプワイヤの実装

 そもそもジャンプワイヤとは、基盤上をまたがって配線されている導線のことで、基盤上に回路を組むときにできるかぎり導線は隣接した端子同士を結ぶようにするべきなのだけれども、どうしても何カ所かでは基盤上の離れた二地点を結ばなければならず、そのときのワイヤが基盤上をジャンプしているように見えるので、そう名付けられている。転じてネットワーク理論、特に社会科学を題材としたネットワークの研究で、二つの別のクラスタ間をつなぐエッジをジャンプワイヤと呼ぶことがある。
 有名なのは労働市場における知人の紹介による採用に関する考察で、知人の紹介によって転職した人々にアンケートをとったところ、大多数の人々は普段あまり接点のない遠い知人を介して転職をしていたことが分かった。これは、親しい知人というのは同じ会社内や同年代に限られていて、転職する上であまり使えず、それよりも遠戚や記憶おぼろげな先輩の方が職探しにおいては有用なためだと考えられる。社会学ではこれは「弱い紐帯の強み」と呼ばれている。
 以前、

Amazonのおすすめ商品とyoutubeのRecommended for youとの間の越えられない壁」
http://d.hatena.ne.jp/noarke/20091108/1257661978

という記事でも少し書いたが、Amazonのおすすめ商品が使えないのは、自分が過去に購入/閲覧した作品と同一クラスタ内の作品しか紹介されないためである。同一作者、同一ジャンル、同一ブログの推薦本はググればでてくるわけで、わざわざおすすめするものではない。僕らが本当に求めているのは、未知の名作、本屋で足を踏み入れたこともない棚に眠っている自分の嗜好にマッチする一冊、つまり一つのジャンプワイヤである。
 これは、TwitterのWho To FollowやLast.fmのRecommendationにも共通する問題であり、もっと一般に新しい仕事や趣味をどのように始めれば良いか、狭い世界に閉じこもらずに生きていくにはどうすれば良いのかという問いへの一つの解答でもある。
 もう一つ、やや時間が空いてしまったが、この記事は前回のスゴ本オフの飲み会のあとで自分なりに考え直してみたことが元になっている。

「スゴ本オフ@ジュンク堂池袋本店レポート」
つまりこうだ、小説であれ実用書であれ、種本、本歌というものがある(オマージュ元、インスパイアネタといってもいい)。それぞれのジャンルが閉じてしまうことで、種本が見えなくなり、クソもミソも一緒くたの状態になっているのかもしれぬ。ジャンルを跨ると新鮮味が出るのはその反証で、先に挙げた「ビジネス書→教員関係」の波及や、ラノベ風味数学書数学ガール」、経済風味ラノベ狼と香辛料」あたりがポロポロ出てくる。
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2011/05/post-d585.html

 具体的な実装方法としては以下の5つが考えられると思う。

出会いは運命であり神のみぞ知る。How I met your motherのseason 4,episode 22で、Tedが食中毒事件を起こしたベーグル屋に抱きついて感謝するシーンにある通り、僕らにできるのは運命を構成する一つ一つの要因に後天的に感謝することだけである。ジャンヌダルクも、もし空から落ちてきた剣に運命を見いださなかったら、フランスの救世主となることはなかったし、JohnとPaulが同じバンドに在籍していたという奇跡は他に説明のしようがない。

  • インテリジェンス

とは言え神に頼ってばかりもいられないので、もう少し現実的な案としてメンターを利用するという手がある。例えば、ある特定の分野の研究をするのに、先行文献のどれをどの順番に読めば良いかは教授に聞かなければ分からないわけで、そうした狭い専門的な領域ではインテリジェンスの活用が可能である。あるいは、まだ特定のクラスタに属してもいない初心者に対してもメンタリングは有効で、例えば僕がThe StrokesやFranz、The Musicあたりを知ったのは中学時代に知り合った駅前のオーディオ屋の影響である。あるいは、ハイフィデリティでジャック・ブラックが「ラモーンズを知らないだなんて犯罪ものだぜ」と言いながら、客に大量のCDを勧めているシーンも一種のメンタリングであろう。ただ、インテリジェンスには明らかな限界があって、例えば「新入生に勧める100冊」みたいなのが胡散臭いのは、その選者たちに同時代の知の全体像が見えていないことが原因だと思う。

  • ソーシャル

メンターとなりうるだけのインテリジェンスのある人間と出会うのは難しくて、それこそオラクルに頼るしかないので、より現実的にはソーシャルを利用することになる。これは、ジャンプワイヤとして今現在最もメジャーなもので、親にコピーを頼まれたムソルグスキーのCDをきっかけにクラシックを聴くようになったり、友人がジムの講習会を受けにいくというので一緒についていって結局自分の方が筋トレにハマったりするのは、これにあたる。ただ、ソーシャルは特に最近のSNSのように閉じたコミュニティの構築が可能な場合、ジャンルの閉塞化が起こりやすい。結局ソーシャルの構成員のインテリジェンスをうまく見極めることが必要となる。

今あるサービスで言うとはてな人力検索2chの音楽系板の「曲名が分かりません」スレのイメージである。十分なインテリジェンスを持った人間にとって誰かにジャンプワイヤを提供することはほぼゼロコストの行動なので、誰かは知っているはずだけれども誰に聞けば良いのか分からないものをクラウドに投げてみるのは有用なことである。クラウドよりもややアルゴリズムに近い例で言うと、Last.fmでNeighborとして挙げられるユーザのランキングは非常に参考になることが多くて、IncubusLou Reed, Four TetあたりはNeighborのランキングの上位に位置していたのでチェックしてみたら良くて、良く聴くようになった。クラウドの構成員をいかに選別するかという問題は残るが、これは今後の発展の余地があると思う。

Last.fmamazon,TwitterあるいはFacebookなどはジャンプワイヤを実装するに足るだけのデータを既に持っているはずである。注目すべきは今までのクラスタ分解などでは平均され無視されてきた弱い相関で、互いの属するクラスタに接点のない二つのものの間に弱い相関が見いだせれば、それはジャンプワイヤとして機能する可能性がある。例えば、MC sniperとThe Bloody Beetrootsのファン層の間に小さいけれども、DAとMSTRKRFTなんかの間に見られるものより遥かに大きい相関が見いだせたとしよう。すると、何か今まで聴いたことのない音楽に触れてみたいと思うThe Bloody Beetrootsのファンのイタリア人に対してMC sniperを勧めれば、「クリック」する可能性が高い。大手SNS各社はOasisのファンにBeady Eyeを勧めるような馬鹿なマネは辞めて、こうした方向の努力をすべきだと思う。

美容室にiPadを。

この間美容師さんと話したのだけど、冷静に考え直してみても悪くない案のように思えるので書く。

1,ライトユーザの取り込み
iPad2は依然PCと接続しないと使えないという糞仕様らしいのだけれど、iPadはそもそもは「機能的にはスマートフォンで十分なんだけど、youtubeとかを見るのに画面が小さくて見にくいから、大きなディスプレイのついたやつが欲しい。」という層を狙っているはず。ただ、この層はアップルストアにはまず来ないし、家電量販店に頻繁に訪れることもないので、アプローチが難しい。そこで、そのメインの構成員である有閑マダムがどこに集うかを考えるに、美容室というのが一つの有力な選択肢として浮かび上がる。特に美容室は生活水準に応じたランクがあるらしいので、金銭的余裕のある人々にのみうまく宣伝することが可能である。

2,マーケティング費用の削減
アップルストアに行く度にびっくりするのが店員の多さで、信者がボランティアで活動しているのではないかと疑ってしまうぐらい多い。彼らの人件費は馬鹿にならないはずで、美容師に軽くレクチャーして操作説明を代わりにやってもらった方が、安く上がるだろう。

  • 美容室の利益

1,衛生的
美容室で一番イヤなのが雑誌に挟まっている他人の髪の毛で、これは衛生的にもあまり良くない。でも、雑誌の代わりにiPadを用いれば髪の毛が挟まる心配がなく、衛生的である。また、落ちてきた髪の毛が入らないように注意して立てて読んだりする必要もない。

2,差別化要因
近年美容室業界は競争過多らしく、駅前でビラを配っていたりすることからも、その飽和ぶりは伺える。そこで、iPadは他との差別化をはかる上での一つのキラーコンテンツになるだろう。

  • 顧客の利益

1,バリアフリー
休日に髪を切るのにわざわざコンタクトで行くのは面倒くさいので、僕自身よくメガネで美容室に行くのだけれど、髪を切っている間はメガネを外すので、雑誌の細かい文字が読めない。でも、iPadであれば拡大縮小が自由にできるので、視力に応じて無理なく読むことができ、バリアフリーである。

2,暇つぶし
東京ウォーカーでバイト先の近くの美味しいもつ鍋やをチェックしたり(絶対行かない)、スマートで人気アパレルチェーンと新進気鋭のアーティストのコラボによるカットソーを見たり(絶対買わない)するより、ネットの海を散策した方が絶対楽しいし、最近ではiPad用のWebマガジンも充実してきている。


問題点は、ライトの加減によっては、液晶ディスプレイが見えない可能性があること。
また、既に導入している店舗もあるようだけれど、なかなか普及しないところを見ると何か別の問題があるのかもしれない。
http://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/1011/30/news042.html
でも、iPad2の発売で余った旧型のiPadをとりあえず美容室にリースしてみるというのは、悪くないアイデアだと思うのだけどどうだろう。

エネルギー貯蔵方法の比較

発電電力をバッテリーで貯めようとすると今の技術ではまだまだらしいが、余剰電力でビルくらいの巨大なゼンマイを巻くとか、巨大なおもりを釣り上げるとかして物理エネルギーとして保存したらいかがでしょうかね。
https://twitter.com/#!/ITALU/status/61330745582567424

確かに一見もっともらしいので、いろいろなエネルギー貯蔵方法について単位質量辺りのエネルギーを比較してみる。

  • 力学的エネルギー

1トンの物質を100mの高さに持ち上げた時に蓄えられるエネルギーは、
E = mgh = 1000 * 9.8 * 100 = 10^6 J
なので、1g当たりのエネルギーは、1J/gで、発電量に換算すると0.27mWh/gとなる。(1gで0.27mWの電力を1時間供給できる。)
揚水発電はこの原理を使っていて、大量に発電するには巨大なダムが必要となる。

  • 化学エネルギー

例えば電池を考えるに、単三のマンガン乾電池の容量は1Ah。
電圧が1.5Vだとすると、蓄えられているエネルギーは1.5Wh。
http://home.s00.itscom.net/large/ELEC/batt-1/index.html
電池は一つ30g程度らしいので、1gあたりの蓄電量は50mWh/gで力学的エネルギーに比べ約200倍も効率が良い。

石油や天然ガスも化学的なエネルギー貯蔵方法の一つで、プロパンガスを例にとると、
C3H8 + 5O2 -> 3CO2 + 4H20
という反応式にしたがって燃焼し、燃焼により放出されるエネルギーは、
3*(-393.5 kJ/mol) + 4*(-285.8 kJ/mol) - (-103.8 kJ/mol) = -2220 kJ/mol より、2220kJ/mol となる。
icho.csj.jp/36/pre/P-5ans.pdf
プロパンは44g/molなので、1gあたりの備蓄エネルギー量は50.4kJ/g = 50.4kWs/g = 14 Wh/gとなり、乾電池と比べても280倍効率がいい。
ただ、プロパンは乾電池と比べて備蓄が困難であるし、発電に用いるとなるとエネルギー効率は20-30%に落ちる上、発電所の施設の重さも考えると単位グラム当たりの備蓄エネルギー量は少なくなる。

放射性元素核分裂をすると、質量欠損が生じその分のエネルギーが解放される。
ウラン235の場合、核分裂により1g当たり約0.68mgの質量欠損が生じるので、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B
備蓄エネルギー量は、0.68mg*c^2 = 6*10^10 J/g = 1.7 * 10^7 Wh/g
これは、プロパンガスの約100万倍であり、これほどまでに人々が原発にこだわる一因はこの圧倒的なエネルギー密度にある。


つまり、重力ポテンシャルによりウラン235と同量のエネルギーを蓄えるには、約1000億倍の質量が必要となり、費用対効果を考えるにあまり望ましくない。ただ現状では、ウラン235や石油を人工的に生成することはできないので、揚水発電などの力学的エネルギーによる貯蓄も使われている。

「空気」と「世間」

最近この本のことをよく思い出します。こんな「世間の空気」だからこそ、いま、読むべき本なのかもしれません。 / 「空気」と「世間」 - 琥珀色の戯言 http://htn.to/cYY8Yd
http://twitter.com/fujipon2/status/57720829382901760

に触発されて読んでみた。

本書では以下の五つの特徴を持つ共同体を「世間」と定義している。

1,贈与・互酬の関係 : お歳暮、モースの贈与論
2,長幼の序 : 年功序列、先輩/後輩
3,共通の時間意識 : 会社の飲み会、共同体の所与性
4,差別的で排他的 : いじめ、寄らしむべき
5,神秘性 : しきたり、迷信、伝統
"「空気」と「世間」"より(以下引用は本書より)

その上で、「世間」を構成する上の5つのルールのうち、いくつかだけが機能している状態を「空気」として、現代を「世間」が崩壊しつつある中で「空気」が蔓延っている時代として、現代日本の集団が抱える様々な問題を分析している。特に興味深かったのが、ネット世間に関する考察で、

僕が大変だなあと思うのは、ネット上の「世間」を実感するためには、「世間原理主義者」の人は、永遠に「攻撃の対象」を探し続けないといけないことです。そして、もうひとつ、自分にも分からない理由で、「伝統的な日本を破壊する側」に立たされるかもしれない、という不安を実感するだろうということです。
伝統的な「世間」は、キリスト教の聖書のような「書かれた聖典」を持ちません。『贖罪規定書』のような、罪の一覧表もありません。ただ、それぞれの頭の中に、「古き良き日本」があるだけです。ですから、いつ、「それは、古き良き日本に反する」という突っ込みが来るか分からないのです。

後述するようにネット世間を希求する人間は必ずしもネトウヨとは限らないが、想像の「世間」を求める限りは同じ不安にかられるはずであり、2chに代表される日本の独特なネット文化の根底にはあるいはこういう不安があるのかもしれない。

ただ、本書はいくつかの残念なステレオタイプに捕われている。
1,テレビ特にお笑い番組の影響力
メディア関係の人間はやたらテレビの影響力の大きさを主張するが、昨今ではそれは明らかに過大評価である。なぜなら純粋に若者はテレビを見ないからである。たしかに、29歳以下が世帯主の家庭におけるテレビの普及率は依然94.4%と高い水準にある。
http://www.garbagenews.net/archives/1541978.html
しかし、大学に入って以来スポーツやアニメ以外のテレビ番組について友達と喋ったことはないし、誰かが喋っているのを聞いたこともない。少なくとも現代日本の共同体を語る上で、お笑い番組は比喩以上の意味を持ち得ないと思う。

2,日本と西洋
「西洋 = キリスト教 = 神と個人の契約」という図式は20世紀までは確かに根強く機能していたが、現在では崩壊しつつある。オバマが"We = American"を強調するのは既存のアメリカ社会が崩壊しつつあるためであるし、ヨーロッパの右傾化はイスラム系移民が社会的に大きな位置を占めるようになったきたためである。同じ神と契約した「個人」によって形成される社会はもはや西洋にも存在せず、そのオルタナティブも依然見つかっていない。

3,いじめと逃避
「いじめられたら逃げればよいではないか」というセリフは良く聞く。でも、逃げるのにはスゴくエネルギーがいるし、クラス替えか卒業かでいじめが終焉することが分かっているのだから、やり過ごした方が楽なのかもしれない。逃げればよいことは分かっているし、逃げないでいることに合理性はないのだけれど、しかし無責任に「逃げろ」という人間には腹が立つ。

4,ネトウヨと世間原理主義
上述のようにネット世間の生成を試みる人間はなにもネトウヨだけではない。

おまいらがネトウヨだったころの黒歴史を語れ
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51606111.html

というスレにあるように、ネトウヨは既にネタ化しつつある。一方で、日本のネット空間では未だに、「個人の自由な主張」は許されていない。正確には、「個人の自由な主張」が多くの人々に届くのはそれが世間原理主義者の攻撃にさらされた時のみである。その正体は不明だけれども、ネット上には自らの常識でもって誰かを攻撃しようという負のエネルギーがあふれていて、それのみがミーム間の相互作用を担っている。

5,社会の到来
筆者は社会の到来について悲観的であるが、僕の周りでは社会が形成されつつある。
例えば、この前ローソンにAmazonの受け取りに行ったとき、レジで会計していたらヘルメットを被った男が入ってきて店員に「この近くにガソリンスタンドってないですか?」と尋ねた。店員は地元の人間ではなかったらしく、奥から地図を取り出して調べ始めたので、僕は仕方なくiphoneで検索しようと思ったら、雑誌を立ち読みしていたリーマンが「そこの信号を左折すると、・・・」と、ガソリンスタンドの場所を説明し始めた。
それの何が社会なのかという話だけど、この場面では上述の5つのルールがすべて成り立っていない。
ヘルメットを被った男は礼を言うと何も買わずに出て行ったし、リーマンはおそらく年下と見られるヘルメット男に丁寧語で説明をしていた。また、僕を含めた4人の登場人物はそれ以前にも以後も顔を合わせたことはないし、排他的だったり神秘的だったりする要素は皆無だった。
こういう例は最近他にも度々あって、どうも日本に「社会」が存在しないとは信じられない。

この1ヶ月の間に考えたこと

2001年のアメリカには、twitteriphoneevernoteなんかはなくて、そもそもインターネットの普及率も今ほど高くなかった。
ゆえに、今回の震災は人類がそうしたリアルタイムの記録技術を身につけて始めて起こったものであり、いつどこで誰が何を考えどのような行動をとったかが、かなり良く記述されている初めてのケースである。ここ一ヶ月のtwitterのログや様々なネット上の言動、あるいは通信記録などは慎重に保存されるべきであり、それは狭義の防災学に留まらず、社会科学全般ひいては人間への問いを考える一助となろう。
そのうち自分の場合について、思い出せる範囲で書き留めておこうと思う。

  • 3/12-3/13 : 日本文化礼賛

金曜から土曜の朝にかけての東京は実に素晴らしかった。それは、僕の持ついくつかの価値観が覆りそうになるレベルでスゴかった。
・多様性と利他性
多様性と利他性はトレードオフの関係にあるかもしれない。もちろん、多様性と寛容性は21世紀に追求すべき大きな価値観であるという認識は変わらないけれども、遺伝子的/身体的な利他性は多様性と相反するものかもしれない。これは「アダム・スミス問題」として知られるものの亜種なのだろうけれど、あるいは利他性を最大化するために多様性は部分的に犠牲にされるべきという議論も正当性がある。
・"market price"

世界からのエール3:ハリケーンカトリーナの時は、普段1$の水が10$で売られ、それを経済学者は"It's market price."と擁護したのです。今回サントリーが自販機無料開放してくれたことを、忘れてはいけません。
http://twitter.com/Yu_Godai/status/46566437782962176

はじめ今回の自販機無料開放について、僕は否定的だった。たしかに、自販機でクレジットカードが使えないことを考慮すれば、たまたま十分な金を持ち歩いていなかったために飲み物が買えないとということも起こるはずであるが、そもそも自販機の飲み物が十分安価なことを考えれれば、アメリカと同様に1000円で売ることは合理的である。でも災害時には市場が成立していないのは明らかであって、そもそもマーケットプライスという概念を適用するのが間違いなのではないだろうか。

  • 3/14-3/19 : あえて楽観主義者でいようではないか

マットリドレーの「繁栄」の最後の一文より。
「東京に漂う幽霊」 http://d.hatena.ne.jp/noarke/20110316/1300281913
に書いたけど、この時期人々の悲観主義的行動が良く理解できなかった。
むしろ、様々な困難を通じて国際貿易や電気文明、SNSの重要さについに人々が気付くのではないかという希望すら抱いていた。

この転換の時期は定かでないし、トリガーがなんであったかも思い出せないのだけれど、とりあえずまず震災によって何も変わらないということに気付き始めて、悪化しつつあったものが何も変わらなかったのであれば、今後も悪化し続けると予想するのが妥当であると気付き、悲観主義に傾いた。
結局災害で最も大きな被害を受けるのはその国の最も脆弱な部分であって、例えばチェルノブイリの被害のほとんどは政府の情報隠蔽によるものだし、ハリケーンカトリーナアメリカの激しい格差社会の問題を顕在化させた。
現代の日本を見るに、インフラ設備は世界最高レベルであり、計画停電などで不安定化しても依然イタリアレベルの国際的には高い水準を保っている。
http://ameblo.jp/romanoheijitsu/entry-10835016699.html
また、土木建築技術も高く、幹線道路などは驚異的なスピードで再整備された。
問題は政治と経済にある。復興財源のために20-30兆円の新規国債発行が必要であり、既に最悪の水準にある財政赤字は崩壊へとまた一歩近づくことになる。また、東京は人的被害がなかったため、無能な政府も既得権を謳歌する大企業も現行のままであり、政界再編も産業構造のシフトも起こらない。あと2年は大丈夫だろうと高をくくり東京脱出をしそびれた僕に何ら批判の権利はないが、憂うべきワーストケースは経済的惨状が訪れることである。

  • 4/3 - : 日常回帰

これは多分計画停電の一時的終了に影響を受けていて、結局考えられるべきは個別の専門的問題であって、なすべきことは何もないという感に至った。あるいは、純粋に忙しくなって震災について考える暇がなくなったためかもしれない。僕も眼につくのは瑣末な問題で、主語は「日本」ではないだろうとか、図書館の夜間閉館の節電効果は限られてるとか、牛乳のあるコンビニとないコンビニとの差は何かとか、マイクロ原発の開発が中長期的には妥当な案なのではとかいうもの。


正直、ここ一ヶ月自分が何を考えてたかなど思い出せるはずがなく上の文章は当時の下書きを補間して書いた。もっと様々なツールを活用して記録しておくべきだった。

原発事故と3つの比喩

なんだかよく分からないものが生じたときに、既存の何かとの類似点・相違点を考えることは一つの正攻法である。
1,デリバティブ原子力
/類似点

  • 関わった人々の死亡リスクをキョリに応じて上昇させる。
  • 間接的な影響をほぼ全ての人々に及ぼし、強い社会的関心を惹く。
  • その科学的な本質(デリバティブ原子力)を一般人に理解してもらうのは困難。
  • 専門家も起こりうる最悪のシナリオとその確率とを正確に評価できない。
  • 自称知識人が的外れな批判を繰り返し、マスコミがそれを助長する。
  • 事態の収束に数ヶ月から数年がかかる。

/相違点

  • 借金は自己破産して消すことができるが、被爆量は一生消せない。

実体経済とマネタリーは漸近的に独立であり、その極限でフィリップス曲線は存在しない。

  • その科学的な本質のマスメディアの取り扱い

リーマンショックの時はマスメディアでCDOCDSについて解説されることはなかったが、今回の原発事故で各テレビ局は専門的解説を試みている。


2,遺伝子組み換え食品と原子力発電
/類似点

  • 全人類に繁栄をもたらす画期的技術
  • 高度な科学に基づいており、その潜在リスクは一般人に正しく理解されていない。
  • 先進国での反対運動により、これらの技術を本当に必要とする発展途上国にも提供されないでいる。
  • 実際は環境に優しいはずであるが、なぜか環境活動家からの評判は悪い。
  • 主に国と癒着関係にある巨大企業により運営されている。

/相違点

  • 科学的知見の量

原子核物理は深く理解されており、原子力発電により未知の物質が生成することはないが、遺伝子は依然未知の部分が大きく非常に小さい確率であるものの予想外のバイオハザードが起きる可能性がある。

  • 歴史の長さ

有性生殖は一種の遺伝子組み換えでありその意味で遺伝子組み換えは非常に長い歴史を持つが、原子力発電で用いられるウランの連鎖反応と人類の付き合いは高々100年程度である。


3,社会主義の終焉と原子力発電からの脱却
/類似点

  • かつては夢の代替技術であった。
  • 一つの亜種が失敗に終わったことで、全ての可能性が捨て去られた(or捨て去られようとしている)。
  • 一極集中型のシステムである。
  • 超小型化することで生き残れる(かもしれない)。

科学コミュニティやオープンソース運動、ネット上の様々なコミュニティ上では共通目的に奉仕する社会主義的行動が多々見られる。それと同様に

浴槽サイズの「ポータブルな原子力電池
http://wiredvision.jp/news/200711/2007112822.html

の方向へシフトして行けば、あるいは原子力発電も生き残れるかもしれない。
/相違点

  • 価値観の有無

社会主義は特定の価値観を持つが原子力発電は価値観に対して透明である。