ジャンプワイヤの実装

 そもそもジャンプワイヤとは、基盤上をまたがって配線されている導線のことで、基盤上に回路を組むときにできるかぎり導線は隣接した端子同士を結ぶようにするべきなのだけれども、どうしても何カ所かでは基盤上の離れた二地点を結ばなければならず、そのときのワイヤが基盤上をジャンプしているように見えるので、そう名付けられている。転じてネットワーク理論、特に社会科学を題材としたネットワークの研究で、二つの別のクラスタ間をつなぐエッジをジャンプワイヤと呼ぶことがある。
 有名なのは労働市場における知人の紹介による採用に関する考察で、知人の紹介によって転職した人々にアンケートをとったところ、大多数の人々は普段あまり接点のない遠い知人を介して転職をしていたことが分かった。これは、親しい知人というのは同じ会社内や同年代に限られていて、転職する上であまり使えず、それよりも遠戚や記憶おぼろげな先輩の方が職探しにおいては有用なためだと考えられる。社会学ではこれは「弱い紐帯の強み」と呼ばれている。
 以前、

Amazonのおすすめ商品とyoutubeのRecommended for youとの間の越えられない壁」
http://d.hatena.ne.jp/noarke/20091108/1257661978

という記事でも少し書いたが、Amazonのおすすめ商品が使えないのは、自分が過去に購入/閲覧した作品と同一クラスタ内の作品しか紹介されないためである。同一作者、同一ジャンル、同一ブログの推薦本はググればでてくるわけで、わざわざおすすめするものではない。僕らが本当に求めているのは、未知の名作、本屋で足を踏み入れたこともない棚に眠っている自分の嗜好にマッチする一冊、つまり一つのジャンプワイヤである。
 これは、TwitterのWho To FollowやLast.fmのRecommendationにも共通する問題であり、もっと一般に新しい仕事や趣味をどのように始めれば良いか、狭い世界に閉じこもらずに生きていくにはどうすれば良いのかという問いへの一つの解答でもある。
 もう一つ、やや時間が空いてしまったが、この記事は前回のスゴ本オフの飲み会のあとで自分なりに考え直してみたことが元になっている。

「スゴ本オフ@ジュンク堂池袋本店レポート」
つまりこうだ、小説であれ実用書であれ、種本、本歌というものがある(オマージュ元、インスパイアネタといってもいい)。それぞれのジャンルが閉じてしまうことで、種本が見えなくなり、クソもミソも一緒くたの状態になっているのかもしれぬ。ジャンルを跨ると新鮮味が出るのはその反証で、先に挙げた「ビジネス書→教員関係」の波及や、ラノベ風味数学書数学ガール」、経済風味ラノベ狼と香辛料」あたりがポロポロ出てくる。
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2011/05/post-d585.html

 具体的な実装方法としては以下の5つが考えられると思う。

出会いは運命であり神のみぞ知る。How I met your motherのseason 4,episode 22で、Tedが食中毒事件を起こしたベーグル屋に抱きついて感謝するシーンにある通り、僕らにできるのは運命を構成する一つ一つの要因に後天的に感謝することだけである。ジャンヌダルクも、もし空から落ちてきた剣に運命を見いださなかったら、フランスの救世主となることはなかったし、JohnとPaulが同じバンドに在籍していたという奇跡は他に説明のしようがない。

  • インテリジェンス

とは言え神に頼ってばかりもいられないので、もう少し現実的な案としてメンターを利用するという手がある。例えば、ある特定の分野の研究をするのに、先行文献のどれをどの順番に読めば良いかは教授に聞かなければ分からないわけで、そうした狭い専門的な領域ではインテリジェンスの活用が可能である。あるいは、まだ特定のクラスタに属してもいない初心者に対してもメンタリングは有効で、例えば僕がThe StrokesやFranz、The Musicあたりを知ったのは中学時代に知り合った駅前のオーディオ屋の影響である。あるいは、ハイフィデリティでジャック・ブラックが「ラモーンズを知らないだなんて犯罪ものだぜ」と言いながら、客に大量のCDを勧めているシーンも一種のメンタリングであろう。ただ、インテリジェンスには明らかな限界があって、例えば「新入生に勧める100冊」みたいなのが胡散臭いのは、その選者たちに同時代の知の全体像が見えていないことが原因だと思う。

  • ソーシャル

メンターとなりうるだけのインテリジェンスのある人間と出会うのは難しくて、それこそオラクルに頼るしかないので、より現実的にはソーシャルを利用することになる。これは、ジャンプワイヤとして今現在最もメジャーなもので、親にコピーを頼まれたムソルグスキーのCDをきっかけにクラシックを聴くようになったり、友人がジムの講習会を受けにいくというので一緒についていって結局自分の方が筋トレにハマったりするのは、これにあたる。ただ、ソーシャルは特に最近のSNSのように閉じたコミュニティの構築が可能な場合、ジャンルの閉塞化が起こりやすい。結局ソーシャルの構成員のインテリジェンスをうまく見極めることが必要となる。

今あるサービスで言うとはてな人力検索2chの音楽系板の「曲名が分かりません」スレのイメージである。十分なインテリジェンスを持った人間にとって誰かにジャンプワイヤを提供することはほぼゼロコストの行動なので、誰かは知っているはずだけれども誰に聞けば良いのか分からないものをクラウドに投げてみるのは有用なことである。クラウドよりもややアルゴリズムに近い例で言うと、Last.fmでNeighborとして挙げられるユーザのランキングは非常に参考になることが多くて、IncubusLou Reed, Four TetあたりはNeighborのランキングの上位に位置していたのでチェックしてみたら良くて、良く聴くようになった。クラウドの構成員をいかに選別するかという問題は残るが、これは今後の発展の余地があると思う。

Last.fmamazon,TwitterあるいはFacebookなどはジャンプワイヤを実装するに足るだけのデータを既に持っているはずである。注目すべきは今までのクラスタ分解などでは平均され無視されてきた弱い相関で、互いの属するクラスタに接点のない二つのものの間に弱い相関が見いだせれば、それはジャンプワイヤとして機能する可能性がある。例えば、MC sniperとThe Bloody Beetrootsのファン層の間に小さいけれども、DAとMSTRKRFTなんかの間に見られるものより遥かに大きい相関が見いだせたとしよう。すると、何か今まで聴いたことのない音楽に触れてみたいと思うThe Bloody Beetrootsのファンのイタリア人に対してMC sniperを勧めれば、「クリック」する可能性が高い。大手SNS各社はOasisのファンにBeady Eyeを勧めるような馬鹿なマネは辞めて、こうした方向の努力をすべきだと思う。