仕事と機械化

現代では仕事は機械化との関係で以下の三つに分類できる。

  • 機械化するのが技術的に難しい仕事
  • 機械化可能だが規制などにより、機械化がなされていない仕事
  • 機械化するにはコストパフォーマンス的に割が合わない仕事

この3つについて順番に見ていく。

  • 機械化するのが技術的に難しい仕事

これは市場の性質によってさらに下の二つに分類できる。
i)「一人勝ち」可能な市場
ii)一人勝ち不可能な市場

i)「一人勝ち」可能な市場 : 音楽家、科学者、漫画家、アプリ製作者、

スーパースターが生まれるには市場が次の二つの条件を満たしている必要がある。
i)その市場におけるすべての顧客が、最良の生産者によって生み出される財・サービスを享受したがっている。
ii)そのような財・サービスは、最良の生産者がすべての顧客に低い費用で供給することを可能にする技術を用いて生産される。

いわゆる一万時間の訓練を要するOutliersの仕事で、ピアニストやサッカー選手、理論物理学者などがこれに該当する。
 はてな界隈では「ハッカーと画家」的仕事観と共に、こうした仕事を目指すことが支持されているが、ハッカーや画家は一つの時代に数百人いれば十分なわけで、いくらその過程が楽しくともそれを目指すことは合理的ではない。また、僕自身も含め、良く誤解されているのは、科学もまたWinner-take-allの仕事であるということで、ただ、科学の市場にはニッチが多いので、映画業界やファッション業界と比べるにまだ、現実的かもしれない。

ii)一人勝ち不可能な市場 : 医者、弁護士、官僚、SE、美容師
 これらの仕事では顧客の数だけ働く人が必要になるので、一人勝ちは不可能。正確な技術が要求される手術や、裁判での過去の判例との整合性のチェックなどは機械化されつつあるが、医療や司法の現場から人間が必要なくなることは当分ない。また、公務員の仕事の大半は、「機械化可能だが規制などにより、機械化がなされていない仕事」か「機械化するにはコストパフォーマンス的に割が合わない仕事」であるが、国家という複雑なシステムを運営するには一定数の人間の関与が不可欠である。どこの親も医者や弁護士、官僚になれとうるさく言うのには、それなりの理由がある。

  • 機械化可能だが規制などにより、機械化がなされていない仕事 : 介護、運輸、オフィス業務

介護業界などは本来機械化できるはずであるが、東南アジアから比較的安い人材が確保できること、国営の介護保険の存在により価格インセンティブがはたらかないこと、機械化に際し過剰な安全基準が要求されることなどから、機械化に至っていない。しかし、こうした現状は一時的な雇用創出を図る政府以外の誰にとっても不幸なわけで、急速な高齢化が世界の活力を奪い取ってしまう前に何らかの対応を取らなければならない。
 また、googleの全自動乗用車は既にテスト段階に入っており、各国政府の様々な規制さえパスできれば、近いうちに実用化されるはずで、そうなると運輸業界は実質的に消滅する。
 あるいは、経理や営業、顧客対応などのオフィス業務もアジア諸国アウトソーシングするなどして依然人力でこなされているが、新興国の賃金水準が向上するにつれ、機械化がなされるはずである。

  • 機械化するにはコストパフォーマンス的に割が合わない仕事 : 清掃、飲食店、IT土方

 学部生の時に大学の図書室の夜間司書のバイトをしていて、座って勉強しているだけで時給900円という非常に割の良いバイトだったのだけど、ある日暇つぶしに過去のQ&A集を見ていたら非常に気になるものがあって、「なんで、図書室に自動貸出機を導入しないのですか?」という質問に対し、「自動貸出機は一台200万円と大変高価なので、現在導入の予定はありません。」という返答が記してあった。毎平日に時給900円で5時間バイトを二人雇うと一年で約200万円の出費となるから、高いというのは名目であって、実際には苦学生に小遣いを配ろうという意図でもってあえて自動貸出機を導入せず、人力で貸し出し処理を続けているというのが本当のところであろう。そうすると、これは「機械化可能だが規制などにより、機械化がなされていない仕事」の例ということになるのだけど、「機械化するにはコストパフォーマンス的に割が合わない仕事」というのはイメージ的にはこんな感じ。クルーグマンはこれを以下のように皮肉っている。

「『知的』な仕事なんてコンピュータでも十分できる。人間にしかできない仕事ってのは、実は掃除とかメンテナンスとかの肉体的な雑用だ。」
クルーグマン教授の経済入門」あとがきより

 30代の平均年収の大幅な下降や、ワーキングプアの問題はこの視点から語られるべきで、さらに問題なのはこうした仕事を誰かに押し付けることで現代の豊かな生活は成り立っているということ。そう考えると、ベーシック・インカムなどはナンセンスで、これらの仕事に負の所得税をかけて、労働へのインセンティブを持たせなければならない。

 ただ、こうした仕事も結局すべての労働者に行き渡るほどあるわけではない。生活保護の受給者の増加がそれを如実に物語っている。

生活保護の受給者200万人超えとかいうニュースに関する雑感」
いろいろと不正受給だの問題を孕みつつも、生活保護の受給者が増加し続けている背景ってのは、雇用の受け皿になってきた産業が磨耗している部分があって、働き口がないのだから生活が維持できなくて生活保護を受けざるを得ないという同情すべき事態に陥るのは社会保障上仕方がないのかなあと。
 で、その減った働き口とやらを見てみると、建設や地場製造業など構造不況業種に加えて、地方自治体の新規雇用減だったり農林水産の限界化なんてのが地味に効いて、もっぱら地方の雇用が減ってる。でも、これって過去の産業推移を見ると、公共投資地方自治体などからの発注で食い繋いでいたり、農業なんかだと助成金補助金がずっと垂れ流されていて、その蛇口が閉まってきて雇用を維持できなくなって衰退しているという実情に気づく。
やまもといちろうブログ http://kirik.tea-nifty.com/diary/2011/03/200-9ec3.html


ともあれグローバリゼーションが一通り進行した今、再びオートメーションについて考えなければならないのは確かだ。