この1ヶ月の間に考えたこと

2001年のアメリカには、twitteriphoneevernoteなんかはなくて、そもそもインターネットの普及率も今ほど高くなかった。
ゆえに、今回の震災は人類がそうしたリアルタイムの記録技術を身につけて始めて起こったものであり、いつどこで誰が何を考えどのような行動をとったかが、かなり良く記述されている初めてのケースである。ここ一ヶ月のtwitterのログや様々なネット上の言動、あるいは通信記録などは慎重に保存されるべきであり、それは狭義の防災学に留まらず、社会科学全般ひいては人間への問いを考える一助となろう。
そのうち自分の場合について、思い出せる範囲で書き留めておこうと思う。

  • 3/12-3/13 : 日本文化礼賛

金曜から土曜の朝にかけての東京は実に素晴らしかった。それは、僕の持ついくつかの価値観が覆りそうになるレベルでスゴかった。
・多様性と利他性
多様性と利他性はトレードオフの関係にあるかもしれない。もちろん、多様性と寛容性は21世紀に追求すべき大きな価値観であるという認識は変わらないけれども、遺伝子的/身体的な利他性は多様性と相反するものかもしれない。これは「アダム・スミス問題」として知られるものの亜種なのだろうけれど、あるいは利他性を最大化するために多様性は部分的に犠牲にされるべきという議論も正当性がある。
・"market price"

世界からのエール3:ハリケーンカトリーナの時は、普段1$の水が10$で売られ、それを経済学者は"It's market price."と擁護したのです。今回サントリーが自販機無料開放してくれたことを、忘れてはいけません。
http://twitter.com/Yu_Godai/status/46566437782962176

はじめ今回の自販機無料開放について、僕は否定的だった。たしかに、自販機でクレジットカードが使えないことを考慮すれば、たまたま十分な金を持ち歩いていなかったために飲み物が買えないとということも起こるはずであるが、そもそも自販機の飲み物が十分安価なことを考えれれば、アメリカと同様に1000円で売ることは合理的である。でも災害時には市場が成立していないのは明らかであって、そもそもマーケットプライスという概念を適用するのが間違いなのではないだろうか。

  • 3/14-3/19 : あえて楽観主義者でいようではないか

マットリドレーの「繁栄」の最後の一文より。
「東京に漂う幽霊」 http://d.hatena.ne.jp/noarke/20110316/1300281913
に書いたけど、この時期人々の悲観主義的行動が良く理解できなかった。
むしろ、様々な困難を通じて国際貿易や電気文明、SNSの重要さについに人々が気付くのではないかという希望すら抱いていた。

この転換の時期は定かでないし、トリガーがなんであったかも思い出せないのだけれど、とりあえずまず震災によって何も変わらないということに気付き始めて、悪化しつつあったものが何も変わらなかったのであれば、今後も悪化し続けると予想するのが妥当であると気付き、悲観主義に傾いた。
結局災害で最も大きな被害を受けるのはその国の最も脆弱な部分であって、例えばチェルノブイリの被害のほとんどは政府の情報隠蔽によるものだし、ハリケーンカトリーナアメリカの激しい格差社会の問題を顕在化させた。
現代の日本を見るに、インフラ設備は世界最高レベルであり、計画停電などで不安定化しても依然イタリアレベルの国際的には高い水準を保っている。
http://ameblo.jp/romanoheijitsu/entry-10835016699.html
また、土木建築技術も高く、幹線道路などは驚異的なスピードで再整備された。
問題は政治と経済にある。復興財源のために20-30兆円の新規国債発行が必要であり、既に最悪の水準にある財政赤字は崩壊へとまた一歩近づくことになる。また、東京は人的被害がなかったため、無能な政府も既得権を謳歌する大企業も現行のままであり、政界再編も産業構造のシフトも起こらない。あと2年は大丈夫だろうと高をくくり東京脱出をしそびれた僕に何ら批判の権利はないが、憂うべきワーストケースは経済的惨状が訪れることである。

  • 4/3 - : 日常回帰

これは多分計画停電の一時的終了に影響を受けていて、結局考えられるべきは個別の専門的問題であって、なすべきことは何もないという感に至った。あるいは、純粋に忙しくなって震災について考える暇がなくなったためかもしれない。僕も眼につくのは瑣末な問題で、主語は「日本」ではないだろうとか、図書館の夜間閉館の節電効果は限られてるとか、牛乳のあるコンビニとないコンビニとの差は何かとか、マイクロ原発の開発が中長期的には妥当な案なのではとかいうもの。


正直、ここ一ヶ月自分が何を考えてたかなど思い出せるはずがなく上の文章は当時の下書きを補間して書いた。もっと様々なツールを活用して記録しておくべきだった。