特に意味のない長文

最近twitterサイズの記事が多いので、特に主張すべき命題もないままに長文を書いてみようと思う。

確かアシモフファウンデーションだったと思うが、相手国の外相の熱烈で非常に意味深長なスピーチを意味分析器にかけてみたところ、何一つとしてスピーチに意味がないことが判明して、その外相のスピーチ術に驚嘆するという場面を今ふと思い出した。
いかにも意味ありげに全く意味のないこと述べるのは、そう考えるとかなり難しいように思われるし、小沢だとか亀井だとかの黒幕的政治家はそうした能力に秀でているのだろう。
ただ、非常に難解な学問の世界においては、時にこうしたトリックが可能で、その悪名高い例が「ソーカル事件」と「ボグダノフ事件」である。ソーカル事件は「"知"の欺瞞」に詳しい。ボグダノフの方は、

ボグダノフ事件
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ボグダノフ事件とは、双子の兄弟であるフランス人イゴール・ボグダノフ (Igor Bogdanov) とグリシュカ・ボグダノフ (Grichka Bogdanov) によって書かれた一連の理論物理学論文の正当性を巡って引き起こされた学術論争である。

ボグダノフ兄弟は自身の仕事の正確さを擁護しつづけたものの、多くの物理学者は件の論文はナンセンスであると断言し、査読制度が根本的に誤謬を含みうる証拠だと見なした。

数理物理学者のピーター・ウォイトは「ストリング理論は科学か」の中で、二人が自らのコメントを改ざんして利用したことを受け、「ボグダノフ兄弟が悪意のない人間だとは思えない」という内容の話を述べていて、ボグダノフ兄弟が科学に対する誠実な精神で持って研究を行ったのではないことは明らかだろう。

しかしこれらは科学の枠内に収まっていて、何か具体的な被害があったわけではない。むしろ学会は今まで様々な新しいアイデアが迫害されてきたことの教訓として、数奇な考えに対してかなり歓迎的な姿勢をもっており、そうした「もしかしたら正しいかも知れない」という柔軟性が事件の背後にある。

さて、最近話題のclimitegate事件の場合、様相は全く異なっている。
温暖化の阻止に向けて世界各国が様々な方面に多額の税金を投入しているし、ポッポに至っては温室効果ガスの25%削減をうたっている。
その前提が崩れたとしたら、何十兆円にも及ぶ損害は一体誰が負担することになるのだろう。
確かに、別に産業革命以後の急激な温暖化の事実が否定されたわけではないし、人間の活動が地球環境に大きな影響を及ぼしていることは明らかだろう。されど、本来意味のあることに別の意味を無理矢理に付与することは、どうも有害に見える。

意味というのは本質的に捏造されるものであるから、その正当性を疑うには注意を要する。無意味の無意味性は、結局コンセンサスと反証可能性からのみ演繹される。動的な論理空間においては、互いに矛盾する命題が共存し得るので、意味の改変はいつでも可能であるが、そのことの意味について正しく評価することは難しい。しかし、局所的な評価は常に可能なはずであり、そうした検証を怠ると重大な損害を招きかねないことを常に留意すべきだろう。

以上、何の意味もない長文でした。