ネトウヨについてーその2

前回の記事で大分誤謬があったかも知れない。
「歴史の〈はじまり〉」を読んでて思ったんだけど、ネトウヨが国旗を掲げるのは、「クラナドは人生」だとか「働いたら・・・」って言うのと同じ感じでやってるんだろう。
さらに言えば、彼らに限らず現代人にとって、現実と虚構の区別なんてどうでもいいものな気がする。これは、「ウンコな議論」の話と多分関連してて、変化の遅いstaticな世界だったら現実と虚構は厳密に区別できるけど、一定以上の早さで変化し続けるdynamicな世界においては、そうした試み自体意味を持たなくなるわけで、そもそも「あえて」かどうかという議論が破綻する。
ほぼ純粋にイコンとして扱える領域は上に述べたような論理で動いているんだろうけど、身体性に近づいてくると現実は厳然とそびえているわけで、いろんな問題がこの準虚構と現実の狭間の領域で起きている。
それで、「じゃあどうしよう」という啓蒙主義的な試みはもちろん無意味なわけ。