コミュニケーション能力の4つの定義

以下、c(x) : X -> [0,1] で人物x∈Xのコミュニケーション能力を表すことにする。ただし、Xはコミュニティ。

  • 定義1

c(x) = [x∈大企業の男性正社員またはその内定者]
(ただし、[true] = 1,[false] = 0とする。)
この定義の上では、就職面接とは実質的にコミュニケーション能力検定であり、検定試験に合格すると晴れてコミュニケーション能力保持者の称号と内定とを手に入れることが出来る。企業の業績が悪化した場合、面接官は検定実施資格を剥奪されることがあり、このとき該当する面接官が授与した称号は無効となる。

例えば、以下の見解がこれに近い。

ところが、最近は「コミュニケーション能力」という言葉が盛んに言われます。コミュニケーションは本来、特定の誰かに個体化できないからこそコミュニケーションなのですが、それをあたかも個体の性能として特定できるかのように語る。コミュニケーション能力というのはそういう言葉です。

その言葉に乗って、あたかもそういう能力が実在し、それで人が選別できるかのような話まで出てきた。実在しない点では幽霊や亡霊みたいなものですが、実在しないからこそ、いったん「ある」ことになれば、みんながその影におびえたり、身につける努力をしなければならなくなる。そういう意味で、「コミュニケーション能力」や「ハイパー・メリトクラシー」の議論は、根本的に誤っていたと今は思っています。ないものはないとして、扱うべきだった。

「『コミュニケーション能力』論の罪」EU労働法政策雑記帳
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post.html

  • 定義2

c(x) =
ただし、<>は統計平均。
主に2ch等で広く支持されている定義。
上司との飲み会の参加回数や、声の大きさを評価関数として用いる場合もある。

  • 定義3

c(x) = f(ホウレンソウ力、調整能力、表現力)
主に企業の経営者側に支持されている定義。
よく分からないものをよく分からない3つのものに分解しただけという批判には屈しない。

例えば、

「企業が求める『コミュニケーション能力』とは何ぞや?」
http://www.j-cast.com/kaisha/2010/01/26058686.html

などが詳しい。

  • 定義4

c(x) = xを含むクラスタの数/(n*(n-1)/2)   (n:ノードxのエッジの数)
ただし、Xにおける相互関係の無向グラフによる表現G上で考える。また、クラスタ数とはノードx,y,zが三角形で結ばれているものの数のことである。

クラスター性の高さとコミュニケーション能力との関係は自明でないが、例えば、

AがBについての話(悪口含む)をCにしたとして、その後CがAの間合いやコミュニティにおける立位置を考慮して、その話のオープン/クローズを決定する。そんなCの如才なさを大体が持っていた集団に長いこといたから、時々麻痺る。
@mosa_siru
http://twitter.com/mosa_siru/status/25569135930

というような議論を見るに、ABCがクラスタを構成している場合、AB間の信頼関係はCのコミュ力による部分が小さくないのではないか、と考えられる。
ちなみに、東大生(特に理系の人々)は、一見コミュ力の無さそうな人でも、この手のコミュニケーション能力は高かったりする。