芸術はいかにして達成されないか

140個の数字からなる10の140乗個の数列を考える。
ある人にこれをランダムに提示したとき、最初は、
111111...
や、
12121212...
に規則性を見いだす。少なくとも小学校入試の数列の問題はこのレベルである。
さて、人間はそうした単純な規則性に飽きてきて、例えば、
1123581321...
だったり、
235711131719...
というような数列に規則性を見いだすようになる。
例えば、中学受験生に3,4,6,8,12,14,18,20,24,30,32,(),...
の括弧を埋めよという問題を出したら、半分ぐらいの生徒が正解する。
さて、人間の好奇心は留まることなく進み、上のような数列それ自体への関心は薄れて行く。
そうすると多分
2820285082126...
や、
12514421324291430...
というような数列へと興味の対象は移る。

芸術の発展もこんな感じで進んで行くんじゃないかと思う。
もちろん人々が芸術作品に見いだす規則性は身体性に依存しているので、実際には写実主義から印象派へ移行したり、歌唱曲からミニマルテクノに移ったりする。ただ重要な点は、人間は継続的な刺激を学習し長期的には飽きるので、芸術の移行に一定の方向性が見いだされるという点である。
しかし、個々人の興味関心は上で述べたようには移行しない。大衆向けのクラブでは今だにBon Joviが流れているし、Amazonのベストセラーには文学性のかけらもない。これは、

オタクはなぜ飽きないの?/カンダタ
http://d.hatena.ne.jp/noarke/20090922/1253603753

で提示した問題とも絡んでくるのだけど、一つの大きな要因は中毒性だと考えられる。何かに精神的に依存することは、生存のための利益になるのかもしれない。例えば、長期的に環境が変化しない場合、下手に移り気を起こして新たな居住地を探すグループよりも、その場に留まっていることを選択するグループの方が、子孫を残しやすい。あるいは、リカーシブな神経回路の不可避なバグだという可能性もある。いずれにしろ、広義の中毒性が人類に蔓延していることは確かで、それが芸術の移行を妨げているのだと思われる。