ハワード・モスコウィッツのプラトニズム逆転

Malcolm Gladwell on spaghetti sauce / TED
http://www.ted.com/talks/lang/eng/malcolm_gladwell_on_spaghetti_sauce.html

70年代のスパゲッティ業界は、パスタソースのイデアに捕われていた。決して実現されない理想のパスタソースに漸近するために、日々商品の改良を重ねていたが、それは必ずしも業績の改善にはつながらなかった。
そこに現れたのがハワード・モスコウィッツである。彼はスパゲッティ業界にはびこるプラトニズムを否定した。その一方で、どのパスタソースも消化されれば同じウンコになるというニヒリズムに陥ることもなかった。彼の主張は、パスタソースのイデアは人間の身体性に基づいて規定されるというものだった。塩辛いトマトソースを好む人間もいれば、イタリア風の伝統的なトマトソースを嗜好する人間もいて、万人に共通なトマトソースのイデアというものは存在しない。また、全てのイデアが既に開示されているとも限らない。固形のトマトの入ったトマトソースはそれまで実現されたことがなかったが、試しに作ってみたらそれを好む人々が確かに存在した。
これが上のスピーチの概要であるが、一つ疑問点が残る。固形のトマトの入ったトマトソースというのもまたイデアであるのなら、ハワード・モスコウィッツはプラトニズムの圏内から抜け出せてないのではないかという点である。しかし、これはおそらく否で、なぜならハワード・モスコウィッツ以前において「固形のトマトの入ったトマトソース("Extra Chunky Tomato Source")」という概念は存在しなかった。例えば、「ソクラテス」という名詞はソクラテス以降の歴史の中で運動し、その結果として実体化/捏造されたものである。同様にして、ハワード・モスコウィッツが抽象空間に存在していた「固形のトマトの入ったトマトソース」のイデアを発見したのではなく、試作と試食会の反復運動の中で、抽象空間の中で「固形のトマトの入ったトマトソース」という概念が捏造され切り取られたというのが、歴史的事実である。これは一つのプラトニズム逆転に他ならない。