「同じものの永遠なる回帰」
回帰思想が何であるかを語ることは難しいので、何ではないかを語ることにする。
ニーチェの回帰思想への誤解に対して、ハイデガーは以下のように弁護している。
- 現代科学に矛盾する。
ニーチェ自身が自然科学に対する不誠実な言及をしていることは確かだが、回帰思想はそもそも科学の枠の外にあるものであり、自然科学の諸規定に縛られるものではない。
- 一つの思考実験に過ぎない。
回帰思想は、論理規則や帰納原理のように現象論的な生成/証明が可能なわけではない。しかし、同様にその可能性を否定することも不可能であり、その効力は可能性があるというので十分である。
- 宿命論である。
無限回の未来における「過去」は宿命であるが、「未来」は今の判断にかかっている。また、自由の定義は「人間」の定義に依存するもので、回帰思想は存在全体と人間との規定を同時に与えるものであるから、自由と必然との二重背反を元に回帰思想を反証することはできない。
それでも、「人間」というものの中身への過信/反証可能な仮定が見え隠れしている気がするし、存在全体への問いも言語や思考の制約から逃れられてないように見える。自然科学の体系は確かに「人間」に依拠するが、何らか特異性を持っているように見えて仕方がない。