天才の時代について

偉大な思想家はどこへ消えたのか?
・・・彼は、19世紀半ばに作成できたと思われる同様なリストに比べたら、2010年の知識人のリストはかなり貧弱に見えると述べたのだ。(中略)実際、19世紀半ばのリストを作り始めてみると、自分はなんとつまらない時代を生きているのかという印象は避けがたいことがよく分かる。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5327

「天才の時代は終わった」か
現代の思想家リストが見劣りすると思われるとすれば、それは、現代の最良の思想家とは、1人きりで存在できるわけではすでにないからだ。現代では、ほかの人から絶えずフィードバックと知識を得る必要がある。私たちは複雑な世界に生きており、そこでは、1人の頭脳がもつ可能性を諸問題が上回る傾向がますます大きくなっているのだ。
Wired Vision
http://wiredvision.jp/news/201102/2011020121.html

一連の議論で見落とされている点が二つあると思う。
ひとつは、過去の天才たちが、互いにフィードバックを及ぼしていたこと。
例えば、以下に叙述されている20世紀初頭のケンブリッジの様子から、このことは伺える。

第一次世界大戦の始まる前の十年間は、ケンブリッジ大学で知的活動が全盛を極めた時期だった。バートランド・ラッセルは、その才能の全盛期に達していた。ラッセルとA・N・ホワイトヘッドは、論理学の歴史で画期的な存在となった「プリンピキア・マセマティカ」を書き上げた。最も影響力の強い哲学者はG・E・ムーアであった。ウィトゲンシュタインは、すぐラッセルと親しくなり、ムーアとホワイトヘッドにも良く会っている。このほか、ウィトゲンシュタインの初期ケンブリッジ時代の友人の中には、経済学者のJ・M・ケインズ、数学者のG・H・ハーディ、論理学者のW・E・ジョンソンがいたことも特記すべきことだろう。
ウィトゲンシュタイン -天才哲学者の思い出-」

その他にも、アインシュタインゲーデルの親交は有名だし、ハイデガーハンナ・アーレントとの交友は不倫関係にまで発展している。

もうひとつは、学問の細分化により天才が見づらくなっていること。
クヌースウィッテンペレルマンチョムスキーらの業績は上述の学者たちと比べて遜色ないが、そのことは一般人はおろか他分野の人間にもあまり知られていない。

上の二つの点を加えて考慮するのに、現在が天才の時代でないように見えるのは、職業学者の数が急激に増加し異なる分野の天才たちが互いにフィードバックを及ぼすことが無くなったために、典型的な天才像が形成されにくくなっていることが原因だと思う。