AとBが知り合いであることの定義

ナイーブに考えれば、
A knows B ^ B knows A
だが、これだと不十分。
例えば、街で古い友人を偶然見かけたとき、相手が自分を覚えているという確証がない限り話しかけるのは難しい。この瞬間においては、たとえ相手が自分を知っていたとしても、コミュニケーションの開始に障害が生じている以上、互いに知り合いであるとは言い難い。
したがって、
A knows B ^ B knows A
^ A knows B knows A ^ B knows A knows B
でなければならない。
はたしてこれで十分だろうか。例えば、A don't know whether B knows A knows B or notという場合を考える。つまり、AはB don't know whether A knows Bかもしれないことを想定しなければならず、この場合BはA don't know Bを想定して行動しなければならないから、結局Bはコミュニケーションが開始できないかもしれないことをAは想定する必要があり、コミュニケーションを開始するにあたってAは自分から話しかけなければならない。こうした主観的な非対称性がある以上AとBとが知り合いであるとは言い難く、結局
A knows B ^ B knows A
^ A knows B knows A ^ B knows A knows B
^ A knows B knows A knows B ^ B knows A knows B knows A
でなければならない。
この場合、A don't know whether B knows A knows B knows A or notとすると、AはB don't know whether A knows B knows A or notを想定する。つまり、BがA don't know whether B knows A or notを想定することをAは想定する。これは「AがB don't know whether B knows A or notと想定することをBは想定する」とAは想定するということ。したがって、Aは「Bは自分からコミュニケーションを開始しなければならないと思っているかもしれない」と思ってコミュニケーションの場に臨まなければならない。こういうギクシャクした感じが残っている以上、AとBが友人であるとはいい難い。しかし、AとBが知り合いであると言うにはこの程度で十分なんじゃないだろうか。
したがって、上の論理式を正誤をAとBが知り合いであることの定義としたい。

ちなみに、AとBが友人であると言うためには無限降下が必要であるが、無限に長い命題をAorBが知ることは不可能であるため、任意のAとBは友人でない。