動物の倫理学

ザ・コーヴ」監督「知能が高いイルカの殺害はアウシュビッツに等しいが、家畜は問題ない」 - 痛いニュース
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1441544.html

痛いニュース」として扱われていて、はてブでも「これはひどい」タグが支配的だけども、この問題は自明ではない。
例えば脳科学の研究においてマカクザルの脳に電極をさすのはOKだけど、チンパンジーやゴリラは人間と同様の感情を持っていると考えられているためNGだとされている。もちろんこの議論の背後には、マカクザルは寿命が短く繁殖も容易なのに対して、大型霊長類は希少であるという実情も絡んでいるだろう。しかし、人間とチンパンジーとは生後3年ぐらいまで同様の成長過程をたどるという研究結果もあり、チンパンジーに対して何らかの倫理的配慮が必要だというのは広く受け入れられる概念であると思える。そう考えると、「じゃあイルカは?クジラは?」という問いもあながち的外れだとはいい難い。
一般に人類は種として遺伝子の多様性が小さいので、将来デザイナーズ・ベイビーなどが実現されても人間の境界があいまいになる危険性は低い。したがって、動物の倫理学は人間の倫理学とは独立に考えられるし、何かクリティカルな問題を含んでいるわけではなく、大まかには「共感可能性」と「用具的必要性」とのトレードオフで決定されると考えられる。
ただ、「共感可能性」と「用具的必要性」とは共に文化による差異が大きく一意には決定できない。特に、ある動物の他の文化における「用具的必要性」を理解するのは容易であるが、「共感可能性」についてはそもそも文化的なものなので理解が難しく、この非対称性が一連の問題をややこしくしているのではないかと考えられる。