「パークライフ」・「日曜日たち」

Amazonでの評価を見る限り、読者が求めているのは「日曜日たち」であり、「パークライフ」ではない。
一方、批評家は「パークライフ」を評価し、「日曜日たち」は文学もどきであって、文学ではないと言う。

確かに、「日曜日たち」はそれまでの「自分が代わりにこの本をゴミ箱にきっぱりと捨ててやろう」と思えるほどの鬱展開を、最後の銀のピアスのオチで全て台無しにしてしまっている。
一方で「パークライフ」は安易な結論に飛びつくことなく、中途半端なまま終わってしまう。

オチがつかないと不安になり、自分の語りを約100種類の妥当な倫理的結論のどれかに結びつけたいという欲望は、現代を支配しており、新聞の社説はもちろんのこと、多くの小説やブログ論壇も誰もが納得できるとされている使い古された結論を最後に付け足してしまっている。
しかし、それは文学ではない。

実際こういう定型文vs独創的文学みたいな結論もかなり使い古されている。
そこで一つ付け加えるならば、僕は「パークライフ」の方が好きだし、結論から逃れようとする努力はそれだけで評価に値するものだと思っている。