年金制度と「正義」

老害はどこまで若者に迷惑かけるんだよw 消費税10%の使い道「年金、介護、高齢者医療」
http://alfalfalfa.com/archives/397864.html

消費税増税との関係で最近再び論争の的となっている年金制度について、「正義」の観点から検討してみようと思う。

個々人の自由を重視するリバタリアニズムからするに、今の年金制度は全くもってナンセンス。許容されるのは任意加入の積み立て式年金のみで、それも民間の保険会社によって運用されなければならない。

  • 効用主義

恵まれた若者から不幸な老人へと金が渡る分にはOK。実際、現行の制度でも収入が一定以下ならば支払いは免除されるし、給付にも所得制限があるから、効用主義の観点からは許容されるように思える。しかし、金融資産の年代別保有率などを見るに、現行の制度下でパレート最適面からの距離が増加傾向にあるのは明らか。

現行の賦課方式の年金制度は共同体主義の観点からは正当化されうる。実際に僕らは老老介護孤独死のニュースを耳にするたびに心を痛めるわけで、サハラ以南の子ども達よりも日本の老人が優先されるのは現実的であるように思える。


アリストテレス、カント、ロールズの「正義」の観点から個別例について考察するのは難しいので、「(循環的でない)世代間の資本移動は認められるか」というやや一般的な問題について考えてみようと思う。

アリストテレスの場合、上述の問題は「今の若者は生まれつき老人に搾取されるのに適しているか?」という問いに還元される。「そのためのゆとり教育じゃないか」などと団塊はのたまうかも知れないけど、答えはもちろんNOだ。

  • カント

どうみても普遍的法則でないから×。

この場合、問題は「大正期から現代までのもっとも不幸な時代に生まれたとして、現状を肯定できるか?」という形で表現される。ナイーブに考えれば、この論点から世代間の資本移動が正当化されることはあり得ない。ただ、戦争や技術革新など、世代間格差は他にも多々存在するわけで、そもそもこうした個別の不幸について論じることが可能なのかという問いは残る。