「資本主義と自由」あるいは「新宿とホームレス」
「資本主義と自由」で特に印象的だったのが、以下の記述である。
自由を心奉するなら、過ちを犯す自由も認めなければならない。刹那的な生き方を確信犯的に選んで今日の楽しみのために気前よく使い果たし、貧しい老後をわざわざ選択する人がいたら、どんな権利をもってそれをやめさせることができようか。この人を説得し、その生き方は消しからぬと説教するのはよかろう。だが、人が自ら選んだことを強制的にやめさせる権利はどこにもない。あちらが正しくてこちらが間違っている可能性はゼロではないのだ。自由主義者は謙虚を身上とする。傲慢は温情主義者にゆずろう
人類の繁栄や、個々人の幸福、生命の尊さなどは後天的な概念であって、個々人がそれを尊重しなければならないのは、ただ法の枠内でのみである。
この論理に従えば、ホームレス支援などやるべきでない。勝手に飢え死にさせればよろしい。彼らは程度の差はあれどそれを確信犯的に選んだのであり、自由主義者はその選択を最大限尊重する。
しかし、自由は互いに衝突するとき制限されるというのも不可避な原則であり、ホームレスの存在により公衆衛生が損なわれ、人々が健康的な生活を送りつつ都会を謳歌する自由が犯されるならば、ホームレスになる自由は制限される。
いずれにしろ、現実の社会問題は飽和状態にあり、微妙なトレードオフにさらされている。飼い殺しにするわけにもいかないが、飢え死にさせるわけにもいかない。
新宿では今日も約400人のホームレスが暮らしている。